2014年09月24日

「当たり前」を続ける大切さ

 私個人としては、特に不登校とか引きこもりが悪いこととも思ってないのですが、世間一般の「当たり前」をやってないと、案外すぐに困ったことになるよ、ってのは感じます。わりと本気で。

 学校行ってないけど、友人付き合いだけは微妙に残ってる子とか、引きこもってはいるんだけど、勉強だけはきちんとしていた子とか、何となくNEETなんだけど、家の雑務は半分責任持ってる子とか。何でも良いんですけど、そういった当たり前を放棄してしまうと、気付いた頃にはおかしな展開になってます。

 で、その辺に関する対策は、本当に家庭によって様々で、

1:皿洗いだけは、どんなことがあっても絶対にやらせる
2:勉強だけは学年レベルを維持する
3:必ず一度は外に出す

等、家庭によって色々でしたが、大切なのは、

「全て当事者本人の思うがままにするのは認めない」

という「絶対性」だと思います。何も「いじめられても毎日学校へ行け!」とか「家族全員の家事をしろ!」などといったことを要求している訳ではありません。家にいるのなら、家庭内業務の一部に責任を負ったり、将来の自立のために勉強するのは自然な流れです。家庭だって一つの社会なのですから、

「その中で生きていく以上、最低限の義務は負えよ?」

ってのは当たり前ではないでしょうか?

 事情は良く分からないのですが、昨今は、

「本人が動きたくないなら、望む通りにそうさせておけば良い」

といった意見がかなり多いようで、本当に何もさせないまま放置気味な話をよく聞きます。よく言えば「本人の自己決定を待つ」ですが、悪く言えば「ただの放置」です。しかし、これって本当に上手くいってるのでしょうか? 個人的には、完全放置の家庭よりも、部分強制のある家庭の方が、最終的には上手く行っているように見えるのですが。

 共同体としての当たり前を課されず、言うなれば「義務ゼロ」の状態で生きてきた人間がまともな形で生きていけるとは、ちょっと考えられません。不登校やら引きこもりやらで大変なご家庭も多いと思いますが、学校に行かせたり社会に放り出す前に、まず家庭の義務をちゃんと課しているかどうか確認してみて下さい。家庭教育の一番大切な部分だと思います。

追伸

 よく見たら、更新が一日遅れてました。大変失礼致しました。
posted by Ecodog at 21:29| Comment(6) | 徒然なコメント | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする