2016年09月05日

管弦楽組曲とタイムスリップ

 ここで書く話なのかどうか分かりませんが、私の数少ない趣味の一つが「オーディオ」です。父は学生自体のときからオーディオが趣味だったようで、日曜の実家では、朝から何かしかの音楽がかかっていました。弟も音楽狂で、それが昂じてヴィオラまで練習していましたから、多分父の影響なのでしょう。


 少し前に自宅を田舎の方へ移すことで、高校生時代から延々続いていた東京暮らしに終止符を打ち、やっとのことで人間らしい生活を取り戻したのを機に、そこそこ本格的なシステムを組みました。(高校時代の繋がりで、リコーのエンジニアをしている友人が後押ししてくれたのもあります。)

 オーディオについては、私には目標(目的)があります。ジャン=フランソワ・パイヤール指揮による、バッハの管弦楽組曲第一番序曲(の中の、2:21前後の一小節)を聞くことです。

 勿論、聞くだけなら何でも出来るのですが、この部分は、私の青年期で、特に多感だった時期と密接に関連してます。丁度、金木犀の香りが、少年期の秋口を思い出させるのと同じようなものでしょうか。

 30歳を控えた20代の後半に特に感じたことですが、人間変わらないようでいて、その実毎日変わっていきます。日常的な変化は微細なため、緩やかな変化には鈍感になりがちですが、必ず変化していきます。そんな中で、ある日自分を見失う。

 見失った自分が回帰する場所とはどこなのか? 恐らく、誰もが一度は考えることだと思います。私にとってのそれは、たまたま管弦楽組曲第一番だったのかも知れません。自分がどんな存在なのか、どの方向へ進むべきなのか、あるべき像は何か、あるべき姿勢は何なのか。全てが分からず、無重力の空間の中にポンっと放り出されたような恐怖感を日々感じて怯えているとき、何故かこの曲が傍にありました。丁度、中学生から高校生位の時期です。


 昨日はテストだったため、午前だけ授業はお休みです。私も午前はお休みになりますので、山を見ながら管弦楽組曲を聴き、ほうじ茶(笑)を飲みながらこの記事を書いています。私にとっての至高の贅沢です。

 贅沢も変わりました。子供の頃は、友達と集まってゲームをすることが贅沢でした。今は、音楽に頼って原点に回帰することが贅沢です。大人になるというのは、きっとそういうものなのでしょう。

 変化は怖く、寂しいものですが、同時に愉快で、楽しみに溢れたものだと思います。ただ、そこまで寂しく感じないのも、この音楽があるからなのかも知れません。私も、強固な命綱を持ったものです。
posted by Ecodog at 07:26| Comment(12) | 徒然なコメント | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする