2012年06月08日

わざわざ絶望を呼び込む必要はあるのか?

 定時制や通信制高校の学生間格差は大きい。当事者サイドから話を聞かされる度に、そう思います。そもそも卒業出来る学生も多くない中、卒業生の三分の二が卒後も無職。大学へ行っても底辺大学。無論、大学卒業後も無職かフリーター、良くてブラック派遣。こんな話が普通に出て来ます。

「今時代、底辺というものは悲劇でしかない」

という状況が手に取るような話です。

 私個人の意見ですが、豊かな社会とは、どの立場にいても、必ず這い上がるだけのルートが確保されている社会だと思います。今は底辺でも、這い上がるだけの道がある。それが、明日への希望へと繋がる。

 実際問題として、今もルートが無いわけではありません。CARPE・FIDEMは、昔から将来性のあるルートそのものでしたし、実際にルートも確立しています。頭のスッカラカンの人に道などありませんが、鍛え直せば道はいくらでもある。当然のことです。

 しかし、底辺校には底辺校の「空気」のようなものがあるらしく、「どうせ俺らは底辺だから」と、底辺生活をしなくてはならないような空気が蔓延しているようにも見えます。それが、可能性のある子の未来をも押し潰してしまう。先生の側も、彼らの卒後の絶望感は分かっていても、具体的有効策を出しにくいので、あえて危機感を煽ることもしない。情報も開示されない。それが、更なる底辺化に繋がる。一度底辺化すると、そこから這い上がる可能性が大きく低下する。どう見ても悪循環です。

 不登校でも引きこもりでも、判断力のある子は「底辺的空気」を持ち合わせていませんし、対応もそれなりに早いものです。無論、ネットがあれば道のあること位分かりますし、自立の方向に近い検索ワードを選ぶものです。逆に言えば、底辺に落ちぶれる人は、底辺的行動でしか動いていない。暇潰し程度の検索ワードで貴重な時間を潰し、自ら絶望と不幸を呼び込み、自分で勝手に苦しんでいるようにも見えます。

 無論、経済的事情が絡むこともありますが、それでも方法論が全くない程絶望的な世の中でもありません。

「自分の人生設計の中に『絶望』を組み込む人と、組み込まない人との差は、実は10代の段階から始まっているのではないか?」

 通信制や定時制高校の子達の話を聞いていると、いつもそんな気分になります。
posted by Ecodog at 15:36| Comment(0) | 通信制・定時制高校関連 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年06月04日

通信制・定時制高校に所属する一部の優秀な子達のこと

 今年はどういうわけか、通信制や定時制高校に所属する方からの問い合わせが多い気がします。大半が、

「通信制高校って大丈夫ですか?」
「定時制でも大学へ行けますか?」
「卒後が心配で……」

のような話題です。要は、将来への不安に関する話と言えば良いでしょうか。

 同様の話はこれまでもかなり掲載してきましたが、今回はちょっと方向性を変えてお話をしておきましょう。話の対象は、通信制・定時制高校に所属する中でも、教育水準の高い子、或いは高い教育ポジションを得ようと考えている、一部の上位層の子達です。

 自分の本音を隠すことなく、

「自分は上位層にいる」
「これから上位層に上がろうという意思がある」

と思ったら、以下の内容を確認しておくと何かのヒントになるでしょう。


 まず先に知っておいて欲しいのは、

「通信制・定時制高校を出ても、あなたが希望するような愉快で将来性のある未来は存在しない」

という現実です。どんなにあがいても、あなたの卒後に待っているのは、単純作業に従事するだけの不安定業務がせいぜいです。何故なら「通信制・定時制高校の卒業生は落ちこぼれ」という認識が、社会では一般的だからです。

 本来は違ったのですが、今の通信制や定時制高校は、何らかの事情により普通の高校に行けなかった子達の最終的な受け皿として機能しており、高等教育を確保することが目的というよりは、単に「高卒資格を得るだけのもの」となっている実情があります。最近は少し方向性を変えつつあるところもありますが、進学状況などを見る限り、実質的には何も変わっていません。

 しかし、これは何も学校側が悪いわけではありません。世の中には、その高卒資格さえ確保する能力の無い人達がいて、そのような学生の受け皿はどうしても必要なのです。中には、お金さえ払えば高卒資格を付与してくれるところもありますが、そのようなサービスが存在するのには、例え「偽り」であっても、「就職には高卒資格が必要」という社会的事情があるためです。実際、中卒で雇ってくれるところなど、今はほとんどありません。

 ただ、当然ですが「高卒資格が云々」のような話は非常に低レベルな話題で、「社会の最下層か、その少し上か」という勝負です。昔の高卒資格とは意味が全く違います。

 社会を見回してみれば分かるように、高卒資格で出来る仕事で将来性のあるものなど、今の日本にはほとんどありません。そこから将来性のある立ち位置につけるのは本当に一握りで、後は捨て駒半分となるでしょうが、これは仕方の無いことです。能力があるからこそ必要とされるのであって、無能ならば必要とされないのは当然のことです。この絶対的ルールに刃向う手はありません。それが嫌なら、有能な存在になるしかありません。


 あなたが通信制や定時制高校での上位層にいる場合には、恐らく今の現状に不満を抱くことが多いでしょう。ここはそういった子達が集まることが多いので、

「学校のレベルが低過ぎて不安」
「クラスメイトの水準に合わせていると、自分もダメになる」

のような話を聞くことが度々ありますが、一見すると傲慢に見えるこの意見も、判断力のある子達からすれば寧ろ自然なことです。今の社会情勢からすれば、「それ位の発言すら出来ない子は、逆に将来的には危険」とさえ言えます。

 それなりの頭があれば先が無いこと位分かるものですし、逆に安穏と構えていられるのは先を見通す頭が無いからです。学校には残念な人達もいるかも知れませんが、あなたが彼らと一緒に沈む必要はどこにもありません。


 知っておいて欲しいのは、「自分は沈みかけた船に乗っているのだ」という現実です。むやみやたらと不安を煽るつもりはありませんが、現実は現実です。通信制が悪いのでも、定時制が悪いのでもありません。無論、そこに所属している学生が悪いのでも、先生が悪いのでもありません。単に、「能力の無い人間は必要とされない社会がやってきている」という現実があるだけです。

 程度が低いまま進んでしまった人もいます。しかし、それを悪く言う必要はありません。低くても、懸命に生きている人もいます。彼らには彼らの事情があるのですから、その懸命さを笑うのは卑しい行為です。行政側からのお情け仕事で、やっとこさ生かされている人達だっています。彼らの仕事は、本来必要なものではありません。税金を投入し、彼らの生活と尊厳を守るために行われている慈善事業のようなものです。それでも、仕事は仕事できちんとこなしているのです。馬鹿にすることは出来ません。


 ただ残念ながら、世の中には存在自体が社会のお荷物になる人達がいます。無論、誰もそれを指摘することはしません。指摘することで発生する反発の大きさや不利益を考えると、割に合わないためです。しかし、そのような存在は確実に存在しています。

 彼らの笑顔は確実に社会を圧迫しています。彼らが笑顔になればなるほど、社会は押し潰されていきます。無能力な人々を笑顔にするには、有能な人々がそれを下支えしなくてはならないからです。

 国に余裕が無くなれば、無能力な人々は切り捨てられます。どう泣いて喚こうとも、これは変わりありません。現状で進みつつある生活保護制度の再編を考えれれば、これはすぐに分かるかと思います。


 しかし、そんな彼らを気にして、自分の人生を捨てるのは愚かなことです。末端に行くしかないのなら、それはそれで仕方の無いことです。それしか選べない人だっているのですから。ただ、選択肢が他にもあるのに、みすみす末端に行くのは馬鹿げた行為です。

「他人の荷物を背負う存在となるのか、或いは、自分自身が社会のお荷物となるのか」
「今、自分がこの分かれ目にいるのだという現実をどう処理するのか」

 あなたの「頭の良さ」を生かす第一歩は、まずここから始めてみるのが良いでしょう。
posted by Ecodog at 15:42| Comment(5) | 通信制・定時制高校関連 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月13日

残念な話……。

 年にもよりますが、ここの卒業生は、暇なときにちょくちょく連絡をくれることがあります。

「彼女が出来た!」
「旅行のお土産を持ってきました!」
「暇なので何となく」

のようなものもあれば、

「5月病ダルイから酒を飲ませろ」
「どこか遊びに連れて行け」

のような理不尽なものまで(笑)。

 ただ、その中で、時々残念な話を聞くことがあります。それは、主に通信制や、定時制高校などに所属していた子達の話です。

 前にも掲載したように、定時制や通信制高校は、卒後に人生が大きく分岐します。具体的には、

1:その後も、特に大きな問題無く進めるグループ
2:進学先はあるものの、程度が低いため、数年後にはNEET・引きこもりが確定しているグループ
3:高校卒業と同時にNEET・引きこもりになるグループ


のことです。CARPE・FIDEMは、元々1のグループを養成することが目的の組織ですから、必然的に、卒業生は1のみになります。その中から、毎年このような話を聞かされます。

A「最近になって思ったんですけど、高校時代の友人って、かなり疎遠になりません?」
E「高校? いや、結構会ってるけど? 仕事上の付き合いとかあるし」
A「自分、全然会わないんですよ」
E「仲悪かったとかじゃなくて?」
A「全然」
E「そりゃ、変な話だな」
A「1人だけ、連絡つくヤツいるんすけど、他は全然。メアド消滅してるっぽくって……」
E「他の子は、今何をしてんの?」
A「あ、いや……。っていうか、多分ソレ」
E「それ?」
A「Ecoさん、『残酷なニートのテーゼ』って知ってます? 昔流行ったんですけど」
E「ああ、聞いたことあるよ。確か、エバンゲリオンか何かの替え歌でしょ? 今年の参加者の子が、それ歌ってた(笑)」
A「エヴァンゲリオンですよ。その発音すると、怒るヤツいますよ(笑)」
E「知るか(笑)」
A「その歌詞に、昔の友達に会ったときに『お前、今何してるの?』って聞かれる部分があるんですよ。個人的には、ソレかな……と」
E「ニートでみっともないから、昔の友達には会いたくないってこと?」
A「連絡つくヤツの話聞く限り、多分……。何か、全員マジでニートっぽいんですよ」
E「お前さん以外?」
A「っぽいです。今思えば、誰も進学先のこととか話さなかったし、最後の最後まで遊んでばっかだったんですよ。自分は普通に受験だったけど、学校では一緒に遊んでいたんで、あまりそういう話しなかったんですけど」
E「ふ〜ん」
A「最後に全員で会ったときに、たまたまこれからの話になって、『お前、これからどうすんの? ニート(笑)?』とか聞かれたんですよ。そのときには、もう私大は合格決まってたんで、『慶応と東工大のどっちかに行くと思う』って」
E「そしたら?」
A「何か、一瞬、その場の空気が凍りついたんですよ。『えっ?』みたいな感じで」
E「何? お前さん、受験すること話してなかったの?」
A「学校は、遊ぶところだったので(笑)。どうせ、受験に使えそうな授業無かったし、勉強はCARPEで(笑)」
E「そりゃまた不意打ちだな……」
A「それから、どんどん疎遠に……」
E「そのときは、何か言われた?」
A「『へえ〜』とか『ふ〜ん』とか。一応、『おめでとう』とか」
E「場景が見て取れるようだな……」
A「連絡つくやつに、『俺達も、そろそろ同窓会とかやらね?』って聞いたら、『止めた方がいい』って」
E「『残酷なニートの』ってこと?」
A「多分」
E「気にせずやりゃいいじゃん。全員ニートなら、心配いらんだろ?」
A「『俺がいなければ』ってことっぽいです、空気読むと。って言うか、同窓会とかやらなくても、俺以外は皆時々会ってるみたいなんですよ」
E「お前さんだけ、仲間外れってこと?」
A「まあ……」
E「お前さん、実はすごく嫌われ者だったってことない?」
A「それは無いと思いますよ。カミングアウトまでは、メールとか頻繁でしたし。でも、連絡つくヤツから『お前の悪口とか、今でも結構出てるから、あんまりこっちには来ない方がいいと思う』って」
E「ケツのアナの小せえ連中だなあ……」
A「ちょっとショックでしたね」
E「まあ、気にせず先に進むことだな。慶応の連中とは上手くいってんだろ?」
A「それはもう(笑)。あのヌルイ感じは、自分には合ってましたね。東工でも良かったんですけど、彼女欲しかったんで(笑)」
E「その話、東工大に行った高校の同期のヤツが言ってた。マジで彼女できない(笑)」
A「それだけは回避したかったんで、親に頼んだんですよ。『俺に彼女を下さい!』って(笑)」
E「それ、意味違うから(笑)」
A「バカっす(笑)」
E「でもまあ、上に行くってのはそういうことだから、気にすんなって。お前さんには、未来があるってことなんだからさ、そいつらを責めんなよ。人生詰まると、人格も変わっちまうからさ」
A「分かってますよ。でも、あのときは、こんなに差がつくとは思ってなかったですけど……」
E「仕方ないって。何も考えてないってのは、そういうことなんだからさ」

 
 
 因みに、これはよくある似たような話の一例ですが、大体どれも似たり寄ったりで、状況が人付き合いを変えてしまう話の一つでしょうか。そこには、表には見えてきませんが、実に様々な感情が渦巻いているように見えます。

 ただ、この「差」がほんのちょっとした決断、つまり、

「ほんの少し早く勉強を始めた」
「数年後の未来を考えて行動した」


のような、誰にでも出来る要素で決まってしまうのは、正直残念な気がします。しかし、人生とは、そんなものなのかも知れません。

 

posted by Ecodog at 14:20| Comment(0) | 通信制・定時制高校関連 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする