2010年04月20日

第6回「賢い人々は『政治批判も社会批判も、結局は惨めな自分を誤魔化そう、という貧しい意識の現われに過ぎない』と考えている」

 私が引きこもり当事者への教育支援を始めてから既に5年あまりが経っていますが、彼らを見ていると共通する特徴がいくつかあることに気がつきます。その中の一つに、


○社会批判や政治批判が大好きである


というものがあって、これは寧ろ例外を見つけるのが難しいような気さえします。

 一挙に一般化することは難しいですが、私が知る100例前後を俯瞰する限り、全体的には、男性当事者は政治的右派が多く、女性当事者は政治的左派が目立つような気がします。また、引きこもっている間は右傾化する傾向があり、上手に社会参画出来た人々は中道右派の傾向が安定軌道として残るものの、それに失敗し、所謂NEET化した当事者は段階的に左傾化する傾向にあります。(もっとも、これは立場を考えれば自然なことではありますが。)

 他にも、「中国や韓国が大嫌い」だったり、「日本に対して批判的な国や人物を過剰に攻撃」したりする傾向にあります。もっとも、気持ちは分からなくもないのですが、彼らの姿勢は社会一般の人々のそれよりも著しく極端であると言えるでしょう。あまりに極端であるため、時にはある種の「不気味さ」を感じるような事例にも出会います。

 彼らが政治意識に敏感になるのは、今の日本を考えれば極めて自然なことでしょう。なかなか出口の見えない閉塞感が長期に及べば、政治意識が芽生えるのも当然のことです。そう考えれば、彼らの姿勢を一概に異常なものとすることは出来ません。


 しかしその一方、彼らのあり方を客観的に見ている者としては、別の事実にも目を向けなくてはならないと考えています。では、その事実とは一体何なのでしょうか?

 一言で言うなら、それは「上手く引きこもりから抜けた人は政治意識が低下する」ということです。つまり、引きこもりのままだったり、上手に抜けられなかった人々ほど、過激な政治意識を爆発させる傾向にあるのに対し、安定軌道に乗せることの出来た人々は、次第に政治的にニュートラルになるということです。と言うか、そもそも政治を話のネタに出そうとしなくなるように見えます。近隣諸国に対しても、「好きではないが、過剰反応はしない」という感じの、よくある「大人の対応」が出来るようになってきます。この点もまた、引きこもり当事者を客観的に見ていると気がつく一つの「事実」であると言えるでしょう。


 それでは、その理由は一体何なのか?これについては既に複数の元当事者の方とお話した際に明確な解答が出ていますので、次回はそれを紹介することにしましょう。
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第5回「賢い人々は『引きこもりには時間制限がある』と考えている(5)」

 さて、昨日は「引きこもりから抜けるときは段階的に」との指摘を行いましたが、これを以前の「将校」と「兵卒」の例に当てはめるとどのようなことが言えるのでしょうか。

 一般に、「将校」とは軍務全般のついて、過去の現場経験則から導き出された知識や、組織の効率的運用技術をある程度の期間を利用して習得しています。つまり現場に出るまでに数年間の教育期間が設定されていると言えます。

 一方、「兵卒」は戦線の現場で体力勝負をすることが主要任務ですから、そのための教育期間はそれ程長くはありません。「兵装に関する一通りの知識を手にしたら即現場」というのが実情でしょう。

 即ち、「将校」は比較的余裕を持って現場へと向かうのに対し、「兵卒」にはそれ程余裕が無いということです。この差は大変大きなものであると言えるでしょう。


 それでは、この違いを引きこもり当事者に当てはめてみるとどうなるのでしょうか?

 前回、「突発的衝動に駆られ、急激に社会参画を始めた当事者の中には、体力の不足から派手に怪我をしたり、或いは社会性の不足から無駄に恥をさらし、社会に対する恐怖をいたずらに募らせたりするケース」があるとのお話をしましたが、これは正に社会参画を急ぐあまり、家を飛び出すや否や「兵士募集!」のパンフに飛びついた、思慮の足りない人々の実態と言うことが出来るでしょう。鬼軍曹は一兵卒には容赦ないですから、体力も無く、社会性もない当事者が派手に怪我するのも当たり前のことです。一度大怪我した兵士が戦場(即ち社会)を嫌うのは当然です。彼らはますます引きこもり、問題は永久に解決することは無いでしょう。

 その一方、冷静に判断出来る賢い人々は、大体以下のように考えているようです。「そろそろ、いい加減引きこもりも止めないとまずいな。親も弱ってきて病気にもなるだろうし、これからは金も厳しくなる。俺も普通に仕事が出来るようにならないと、一家諸共死に絶えることになる。しかし、この年からたたき上げはキツイ。ある程度の教養がないことには、今の社会は容赦無いから。となると、金のあるうちに学んでおく必要がある。しかも、将来具体的な収入に結びつくような専門系の学びが必要だろう。よく考えれば、勉強でもしながらゆっくりと社会性も回復させれば良いか。その方が一石二鳥だしな。急に始めてもどうせ失敗するし。とするならどうすれば……」

 因みに、これは私のところに来られる相談者の方からよく聞くお話です。「行動の前に思考を」が彼らの特徴で、その思考の結果としてうちへとやって来られたそうです。彼らは「引きこもり→兵卒」のプランが事実上不可能であることを見抜き、「引きこもり→将校」のプランに活路を見出しているのです。

 しかし、これまでの私達のところでの事例を見ても、この「引きこもり→将校」ルートは確実性が高く、その後の生活水準も高くなりますが、ある程度の期間と費用がどうしても必要となります。結果、親が高齢化し、資金的余裕の無くなった当事者や、既に年齢的に限界点を突破(40代以降。一部は30代でも既に不可能。)した当事者がこのルートを選択することは出来ません。「早い段階で手を打ち、自分の人生に責任を持とう」という志を持った人々のみが可能な選択肢であることは言うまでもないでしょう。(もっとも、これから社会の「将校」として生きることになるのですから、無駄に引きこもりを長期化させている人々に道が開かれないのは当然のことなのですが。)

 少し調べれば、「兵卒」ルートが引きこもり当事者の状況改善において、事実上不可能な選択肢であること位は誰にでも分かることでしょう。「ヒキ止めて仕事したけど、やっぱ俺には無理」だとか「そもそも面接すらして貰えない」みたいな話は今は珍しくもありません。可能性が残されているうちに行動した人々にこそ、未来は開かれる。ただそれだけなのではないでしょうか。


 社会が侮る「引きこもり」。しかし、その中にも優れた先見性と尊敬すべき志を持った「未来の指導者」達がいることを忘れてはなりません。彼らのような存在こそ、私が仕事の中でもっとも誇りに感じる人々であり、同時に将来の私の師匠ともなりうる人々なのです。


 今日はここまでにしておきます。次回はまた近日中に。


 
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2010年04月19日

第4回「賢い人々は、『引きこもりには制限時間がある』と考えている(4)」

 間が空きましたが、前回の続きに入ります。

 これは実際に複数の当事者と話をしてみれば誰でも分かることですが、引きこもっていると対人関係の能力が著しく低下します。誰かに見られることをひどく恐怖したり、大したことの無い問題でも過剰に反応したりと、社会性一般が大きく損なわれます。そのため、ある程度以上の期間(目安としては3年程度)引きこもりを継続している場合には、事前に計画を立てて、段階的に社会に慣れるよう工夫する必要があります。社会性の損耗も然ることながら、体力的に大きく遅れをとっている点にも注意しなくてはなりません。

 しかしながら、引きこもり当事者の中でそのような発想を持っている人はそれほど多くはありません。例え何年引きこもっていようとも、彼らはまるで、引きこもり始めたときのまま時が止まっているかのように感じているのかも知れません。かつての当事者の言葉「引きこもりはコールド・スリープみたいなもんですね」が正鵠だと感じるのは、きっと私だけではないでしょう。

 そのため、しばしば突発的衝動に駆られ、急激に社会参画を始めた当事者の中には、体力の不足から派手に怪我をしたり、或いは社会性の不足から無駄に恥をさらし、社会に対する恐怖をいたずらに募らせたりするケースがしばしば見受けられます。彼らの中にある焦りと不安とが、多々ある欠格事項と共に渾然一体となって、更に大きな失敗を産み出しているのです。

 それ故、「社会参画は段階的に行うべきである」という鉄則を曲げてはいけません。本人が思っているほど、「引きこもり明け」の状況は楽ではない。その点を認識していないからこそ、多くの人々が何度も解決を求めながら失敗し、「やっぱり自分はダメなんだ……」という意味の無いループに陥ってしまうのです。


 少々短めですが、今回はここまでにしておきます。次回はこれの続きから入ります。
posted by Ecodog at 23:31| Comment(0) | 脱ヒキの要点(当事者編) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする