2012年10月23日

責任の取れる家庭の姿

 新規参加希望の面談ラッシュも一区切りつき、少し穏やかな日々に戻りました。(と、言っても、勉強面では色々と追い上げが必要な時期でもありますので、暇ではないのですが……。)

 それにしても、面談を繰り返して感じるのは、親御さんの判断力の大きさです。不登校や引きこもりの話は多々ありますが、どう見ても子供をミスリードしているとしか言いようのない家庭がある一方で、子の自立を前提に、こまめに動いている家庭もきちんと存在しています。

 今回の面談でもこれは同じで、そこにあるのは、段階的に変化している社会の中で子供にどのようなサポートをしてあげたら良いのか、多角的に見ている親御さん達の姿です。

「手助けが必要だとするなら、何を手助けすれば良いのか?」
「話を聞くことが必要なのか、或いは、生きるための力をつけることが必要なのか?」
「場合によっては、手助けしないことが最良の手助けなのではないか?」

等々、簡単に出ることの無い答を求めて奮闘している姿が見て取れます。

 特にここ最近話題に多いのは「卒後の就職の問題」で、それに伴う文理選択です。一般に、文系進学の方が易しいですが、卒後が不安定になる傾向にあります。一方、理系進学の方が勉強は大変ですが、卒後は比較的安定しています。このような話題が親御さんの方から出て来るのも、先行きの見えなさ故かも知れません。


 私は常々、参加希望の面談申し込みがあっても、

「本当にここ(CARPE・FIDEM)で良いのですか? 結構いい加減なところですよ?」
「○○という選択肢もありますよ? そちらはご覧になりましたか?」
「××のような塾もありますから、一度ご検討なさっては?」

のように、複数方向から判断するようお伝えしていますが、これについても丁寧に検討なさっている家庭が多く、大変嬉しい気持ちになったものです。

 何にせよ、「子の自立」を真正面から考えている親御さんからは、「親の責任」から逃げない立派な姿勢が見て取れます。数年前まで「親は悪くない!」だとか、「補助金が補助金が!」のような話ばかり聞かされていた身としては、現実的な判断力でもって行動されている姿を見ると安心します。

 面談にいらした家庭の中には、こちらにいらっしゃる場合もあれば、それ以外の選択をされる場合もあるかと思います。しかし、どのような選択をなさるにせよ、親子二人三脚で「今」という難しい時代を乗り越えていって欲しいと思います。

 何もしない人、何も出来ない人にとって、「今」の時代は苦痛以外の何ものでもありませんが、開拓姿勢のある人にとって、「今」は大変面白い時代ですから。

追伸

 また改めてのご連絡となりますが、来年度の大学受験理系基礎のクラスは、2013年2月1日からとなる見込みです。参加申し込みは12月から開始する予定ですので、ご希望の方はお早めにご検討下さい。
posted by Ecodog at 14:48| Comment(0) | 脱ヒキの要点(家族編) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月17日

不登校になったときに

 不登校のお子さんをお持ちの親御さんから「学校に行ってないときって、何をさせたら良いのでしょうか?」といった質問をよく受けるのですが、基本的には、

1:最低限の勉強
2:適度な運動
3:親子間の普通の会話


の3点があれば、大筋変なことにはなりません。今では、不登校や引きこもりは別段珍しいことでもありませんので、あまり感情的にならず、冷静に対応することが大切です。多少引きこもったにしても不登校になったにしても、すぐに未来が閉ざされる訳でもありませんし、命が無くなるわけでもありませんから。

 ただ、長期間何もせずに物事を先延ばしにしておくと、段階的に苦しくなるのもまた事実です。最低でも、一年以内には何らかの対処はすべきでしょう。中高生位の不登校生の場合は、進学を境目にして状況が改善することが一番多いですので、最低限の教育水準を持った高校や大学などへの進学を念頭に入れて勉強しておくのが、現状では最も無難な方法論と言えます。一般的な学生ならば進学は普通ですし、極端におかしな選択でもありませんので、違和感も少ないでしょう。

 適度な運動についても、軽く走る程度で構いませんので、継続しておいた方が良いでしょう。家にいると、想像以上に体力が衰えます。衰えが極端になる前に、最低限の運動は心がけておくべきです。

 また、中高生の場合、親子間の会話はしばしば途切れがちですが、「おはよう」や「ただいま」など、一言で構いませんので、最低限の「声掛け」はするようにしましょう。声掛けだけでも、ある家庭と無い家庭とでは、その後が全く違います。「挨拶は全ての基本」と心得ておきましょう。

 CARPE・FIDEMの卒業生達からも、色々な話を聞きますが、

「何のかんの言っても、普通のルートに乗ってるのが一番楽」

というのが、つまるところの本音のようです。不登校でも引きこもりでも構いませんし、特殊なことをする必要はありません。世の中の学生達が普通にやっていることを、普通に行うようにするのが、不登校時には最も大切なのだと理解しておいて下さい。
posted by Ecodog at 22:14| Comment(0) | 脱ヒキの要点(家族編) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月03日

第8回「賢い親御さん達は『具体的対応を心がけ、自分の修正すべき点をきちんと修正することが最も大切だ』と考えている(1)」

 私もこの仕事を始めて既に五年程になりますが、いちいち痛感するのは引きこもる子供を持つ家庭の親は大きく二極化しているという事実です。

 現在、現場感覚的に言って親の対応の大きな潮流は二つ。一つは、

「引きこもり当事者を社会的弱者と規定し、社会における保護対象として国からの補助金を頼りに延命措置を図ろうとするグループ」

もう一つは、

「引きこもり当事者が具体的な形で社会参画出来るよう、実践的行動を行おうとするグループ」

です。私は仕事柄、両方の親御さんと相当数話してきましたが、残念ながら前者と後者の姿勢の違いは歴然としています。


 勘違いの無いように先に話しておきますが、しばしば聞く「引きこもりは親の責任ではない」という意見は残念ながら嘘です。確かに、引きこもりの直接的きっかけは、親にも当事者にも責任はありません。今という時代は地味に閉塞感漂う淀んだ要素がありますから、不登校や引きこもりといった問題は誰に降りかかってもおかしくはありません。事実、私も「何で君が不登校なの?」とか、「あなたは引きこもりとは関係なくないですか?」と言いたくなるような事例にも普通に出会います。

 しかしながら、長期化させているのは確かに本人と家族の責任です。そもそも、それなりにまともな対応をしている家庭では、一時的混乱はあっても、その後は普通に問題を解決し、特に後腐れもなく普通の生活を送っています。それどころか、寧ろ引きこもりをバネにして、社会の中でよりタフに生きている様が一般的に見受けられます。少なくとも、私の周辺ではその程度の例は珍しいことでも何でもなくなっています。


 では、何故「引きこもりは親の責任ではない」のような意見が出てくるのでしょうか?理由は案外単純で、「『引きこもりは親の責任ではない』と思いたい人々がそう言っているだけ」のことです。そして当然のことですが、そのように思いたい人々とは、これまで抽象的でアバウトな対応しかしてこなかった親達や、散々責任を回避しようと「腐心」してきた親達、そしてそうするように言い続けてきた一部の支援者達です。つまりは、事実としてのフレーズというよりも、寧ろ「思い込み」というのが実態です。もう少し突っ込んで言えば、彼らの側には「『親には責任が無い』としておかないと困る」事情が沢山あるということです。

 当然と言えば当然のことですが、社会参画する上で具体的「力」は必須条件です。よって、賢い親御さん達はこの点を決して疎かにはしません。「自分の子供がこれから生き残っていくにはどうしたら良いのか。そしてそのために行うべき具体的対策は何なのか?」このような極めて当たり前の思考を行い、そのための手段をきちんと考えています。

 同時に、彼らは子供達に語り、そして子供達の状況を理解する力も持っています。しかも、彼らの言葉には人に訴えかける「説得力」がきちんと備わっており、これは大きな分岐点となっています。しかし、それは一朝一夕で完成したものではありません。親として、そして一人の人間として、あれこれと悩みながらも、小さな責任を回避することなく緻密に積み上げてきた結果こそ、彼らの持つ「説得力」の源泉です。

 近くにいるが故に、子供というものは概して親の真相を見抜く力を持っているものです。それが故、信頼おける親に対しては素直に尊敬し、いつも自分自身を誤魔化しているような油断ならない親には憎悪の眼差しを向けます。引きこもりの現場を見ている限り、この違いは極めて明白に表れると言って良いでしょう。


 以前、私のところにいらした一人の尊敬すべき親御さんは、このように話しておられました。

「引きこもりの子供を持つ親達の集まりに行ってみました。でも、そこでの話題は『いかに自分が悪くないか』を言い合う場でした。私は『どうすれば子供の問題が解決するのか』を建設的に話し合う場所だと思っていたのですが……。

 そして、そのように言う親達は、皆漫然と解決しないままの子供を抱えていました。私には無関係だと感じたので、一回きりでその場を去りました。何故引きこもりが延びるのか、良く分かったような気がしました。あのような親にならないことが、私の最初の仕事なのだと思いました」


 残念なことに、問題を長期化させている家庭程、上手く行っている家庭の親達の優れた姿勢を見ようとしません。私のところに相談に来られる親御さんはこの点が大きく違います。「自分のおかしい点は修正したい」「子供がこれからきちんと自立出来るように手伝って欲しい」「自分は学が無いから、その部分をお願いしたい」ご自身の家族に対してきちんと責任を負おうという素晴らしい志が、そこには頑として存在しています。

 その一方、「親は悪くない!」と言いたがる親達は、自分達の狭い世界に引きこもり、いかにして責任を回避するかのみを考えています。そのような姿勢を持っているが故に、いつまで経っても問題は解決せず、ダラダラと慢性化するのです。案外、本当に引きこもっているのは、子供ではなく親なのかも知れません。

 彼らこそ、陳腐な責任回避をせず、「俺が、私が責任を取ってやる!」そう高らかに宣言する立派な志を、きちんと見習うべきなのでしょう。優れた姿勢を見習うことは恥でも何でもありません。見ようとしないことが恥なのです。(そしてこれは、幼い頃に誰もが親から言われたことではないでしょうか。)恥の上塗りを止めることは、親であること以前に、人間として最低限求められる姿勢であることを、優れた親御さん達は間接的に教えてくれています。

 「親は悪くない!」そう叫ぶ親達の姿に突き刺さる侮蔑の視線。責任回避の集積が、一家を泥沼の袋小路へと誘っているのです。
 
posted by Ecodog at 17:23| Comment(0) | 脱ヒキの要点(家族編) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする