私もこの仕事を始めて既に五年程になりますが、
いちいち痛感するのは引きこもる子供を持つ家庭の親は大きく二極化しているという事実です。
現在、現場感覚的に言って親の対応の大きな潮流は二つ。一つは、
「引きこもり当事者を社会的弱者と規定し、社会における保護対象として国からの補助金を頼りに延命措置を図ろうとするグループ」
もう一つは、
「引きこもり当事者が具体的な形で社会参画出来るよう、実践的行動を行おうとするグループ」
です。私は仕事柄、両方の親御さんと相当数話してきましたが、残念ながら前者と後者の姿勢の違いは歴然としています。
勘違いの無いように先に話しておきますが、しばしば聞く
「引きこもりは親の責任ではない」という意見は残念ながら嘘です。確かに、引きこもりの直接的きっかけは、親にも当事者にも責任はありません。今という時代は地味に閉塞感漂う淀んだ要素がありますから、不登校や引きこもりといった問題は誰に降りかかってもおかしくはありません。事実、私も「何で君が不登校なの?」とか、「あなたは引きこもりとは関係なくないですか?」と言いたくなるような事例にも普通に出会います。
しかしながら、
長期化させているのは確かに本人と家族の責任です。そもそも、それなりにまともな対応をしている家庭では、一時的混乱はあっても、その後は普通に問題を解決し、特に後腐れもなく普通の生活を送っています。それどころか、寧ろ引きこもりをバネにして、社会の中でよりタフに生きている様が一般的に見受けられます。少なくとも、私の周辺ではその程度の例は珍しいことでも何でもなくなっています。
では、何故「引きこもりは親の責任ではない」のような意見が出てくるのでしょうか?理由は案外単純で
、「『引きこもりは親の責任ではない』と思いたい人々がそう言っているだけ」のことです。そして当然のことですが、そのように思いたい人々とは、これまで抽象的でアバウトな対応しかしてこなかった親達や、散々責任を回避しようと「腐心」してきた親達、そしてそうするように言い続けてきた一部の支援者達です。つまりは、事実としてのフレーズというよりも、寧ろ「思い込み」というのが実態です。もう少し突っ込んで言えば、
彼らの側には「『親には責任が無い』としておかないと困る」事情が沢山あるということです。
当然と言えば当然のことですが、社会参画する上で具体的「力」は必須条件です。よって、賢い親御さん達はこの点を決して疎かにはしません。「自分の子供がこれから生き残っていくにはどうしたら良いのか。そしてそのために行うべき具体的対策は何なのか?」このような極めて当たり前の思考を行い、そのための手段をきちんと考えています。
同時に、彼らは子供達に語り、そして子供達の状況を理解する力も持っています。しかも、彼らの言葉には人に訴えかける「説得力」がきちんと備わっており、これは大きな分岐点となっています。しかし、それは一朝一夕で完成したものではありません。親として、そして一人の人間として、あれこれと悩みながらも、小さな責任を回避することなく緻密に積み上げてきた結果こそ、彼らの持つ「説得力」の源泉です。
近くにいるが故に、子供というものは概して親の真相を見抜く力を持っているものです。それが故、信頼おける親に対しては素直に尊敬し、いつも自分自身を誤魔化しているような油断ならない親には憎悪の眼差しを向けます。引きこもりの現場を見ている限り、この違いは極めて明白に表れると言って良いでしょう。
以前、私のところにいらした一人の尊敬すべき親御さんは、このように話しておられました。
「引きこもりの子供を持つ親達の集まりに行ってみました。でも、そこでの話題は『いかに自分が悪くないか』を言い合う場でした。私は『どうすれば子供の問題が解決するのか』を建設的に話し合う場所だと思っていたのですが……。
そして、そのように言う親達は、皆漫然と解決しないままの子供を抱えていました。私には無関係だと感じたので、一回きりでその場を去りました。何故引きこもりが延びるのか、良く分かったような気がしました。あのような親にならないことが、私の最初の仕事なのだと思いました」
残念なことに、問題を長期化させている家庭程、上手く行っている家庭の親達の優れた姿勢を見ようとしません。私のところに相談に来られる親御さんはこの点が大きく違います。「自分のおかしい点は修正したい」「子供がこれからきちんと自立出来るように手伝って欲しい」「自分は学が無いから、その部分をお願いしたい」ご自身の家族に対してきちんと責任を負おうという素晴らしい志が、そこには頑として存在しています。
その一方、「親は悪くない!」と言いたがる親達は、自分達の狭い世界に引きこもり、いかにして責任を回避するかのみを考えています。そのような姿勢を持っているが故に、いつまで経っても問題は解決せず、ダラダラと慢性化するのです。案外、本当に引きこもっているのは、子供ではなく親なのかも知れません。
彼らこそ、陳腐な責任回避をせず、「俺が、私が責任を取ってやる!」そう高らかに宣言する立派な志を、きちんと見習うべきなのでしょう。
優れた姿勢を見習うことは恥でも何でもありません。見ようとしないことが恥なのです。(そしてこれは、幼い頃に誰もが親から言われたことではないでしょうか。)恥の上塗りを止めることは、親であること以前に、人間として最低限求められる姿勢であることを、優れた親御さん達は間接的に教えてくれています。
「親は悪くない!」そう叫ぶ親達の姿に突き刺さる侮蔑の視線。責任回避の集積が、一家を泥沼の袋小路へと誘っているのです。
posted by Ecodog at 17:23|
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