2016年10月06日

小さな信頼を積み上げる

「営業の鉄則は、大きな信頼を狙わず、小さな信頼を沢山積み上げること」

だとか何だとかって話を聞いた記憶があります。

 何となくうろ覚えなのは、恐らくお酒が入っていたからで、多分、爺さんの米寿で親族関係者が熊本に集まったときのことでしょう。推定では、遊び疲れて爆睡している小さな娘さんをあやしている父方の従姉妹の旦那さんの口からだったような気がしますが、定かではありません。

 出所は定かではありませんが、言っていることが定かっぽいのは、流石エリート営業マンといったところでしょうか。やるね。


 で、この「小さな信頼を積み上げる」なんですが、具体的に何をしたら良いのか考えると、実は「日常的にすべきことを淡々とするだけ」という、何とも無味乾燥な解答に行きつくようで。すごく分かりやすくまとめると、

「黙って勉強しな」

とか

「サボらず仕事しろ」

ってことです。うむむ……。定かっぽいけど、きついな、コレは。


 でも、確かに自分の周囲を見ていると、実績上げてる人って基本的にコレがしっかりしているんですなあ。黙々と、やるべきことを実行している。逆に、ダメな人ってのは、アレコレとグチグチ言ってばかりで、何かにつけて停止している。しかも、長期間何もしないでボーっとしている。

 大きな成果ってのは、小さな成果の積み重ねでできているのでしょうが、大きな罪ってのも、小さな罪の積み重ねでできているのでしょう。

 小さな成果も、小さな罪も、毎日の分はあまりに小さ過ぎて、どっちを取ってもほとんど違いが無いようですが、何十年単位で詰み上がると、とてつもない差になってしまう。信頼についても、同じことなのでしょう。


 と、なると、幼年期や少年期は別にしても、青年期以降については段階的に、壮年期にもなれば全面的に、自分自身の存在は自己責任の塊となってしまいます。

 三十路男を捕まえて、

「今のお前が壊れているのは、全部が全部がお前のせい! フォウ!!!」

なんてラップ調で煽られても、グウの音も出ません。まあ、実際煽られてるんですが。ラップで。

 と、考えると、やはり明日の身の振り一つについても考えてしまう今日この頃。壮年期初期の私なのでございます。

 誠実に生きるって大切だね、爺ちゃん。

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2016年09月05日

管弦楽組曲とタイムスリップ

 ここで書く話なのかどうか分かりませんが、私の数少ない趣味の一つが「オーディオ」です。父は学生自体のときからオーディオが趣味だったようで、日曜の実家では、朝から何かしかの音楽がかかっていました。弟も音楽狂で、それが昂じてヴィオラまで練習していましたから、多分父の影響なのでしょう。


 少し前に自宅を田舎の方へ移すことで、高校生時代から延々続いていた東京暮らしに終止符を打ち、やっとのことで人間らしい生活を取り戻したのを機に、そこそこ本格的なシステムを組みました。(高校時代の繋がりで、リコーのエンジニアをしている友人が後押ししてくれたのもあります。)

 オーディオについては、私には目標(目的)があります。ジャン=フランソワ・パイヤール指揮による、バッハの管弦楽組曲第一番序曲(の中の、2:21前後の一小節)を聞くことです。

 勿論、聞くだけなら何でも出来るのですが、この部分は、私の青年期で、特に多感だった時期と密接に関連してます。丁度、金木犀の香りが、少年期の秋口を思い出させるのと同じようなものでしょうか。

 30歳を控えた20代の後半に特に感じたことですが、人間変わらないようでいて、その実毎日変わっていきます。日常的な変化は微細なため、緩やかな変化には鈍感になりがちですが、必ず変化していきます。そんな中で、ある日自分を見失う。

 見失った自分が回帰する場所とはどこなのか? 恐らく、誰もが一度は考えることだと思います。私にとってのそれは、たまたま管弦楽組曲第一番だったのかも知れません。自分がどんな存在なのか、どの方向へ進むべきなのか、あるべき像は何か、あるべき姿勢は何なのか。全てが分からず、無重力の空間の中にポンっと放り出されたような恐怖感を日々感じて怯えているとき、何故かこの曲が傍にありました。丁度、中学生から高校生位の時期です。


 昨日はテストだったため、午前だけ授業はお休みです。私も午前はお休みになりますので、山を見ながら管弦楽組曲を聴き、ほうじ茶(笑)を飲みながらこの記事を書いています。私にとっての至高の贅沢です。

 贅沢も変わりました。子供の頃は、友達と集まってゲームをすることが贅沢でした。今は、音楽に頼って原点に回帰することが贅沢です。大人になるというのは、きっとそういうものなのでしょう。

 変化は怖く、寂しいものですが、同時に愉快で、楽しみに溢れたものだと思います。ただ、そこまで寂しく感じないのも、この音楽があるからなのかも知れません。私も、強固な命綱を持ったものです。
posted by Ecodog at 07:26| Comment(12) | 徒然なコメント | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年09月02日

十分間の余裕

 読み途中の本に、城山三郎さんの「少しだけ、無理をして生きる」があります。読んだところまでをかいつまんで説明すると、

「自分の限界より少しだけ無理して頑張ると、上手く成長できるよ」

ってことになります。私も、これは高校生位のときからよく考えていました。

 で、久しぶりに思い出して懐かしくなったので、早速実行してみました。具体的には、眠くてギリギリになっている駅までの自転車通勤時間に、十分だけ余裕を持たせてみたのです、少しだけ無理して早起きして。

 するとまあ、何とも素晴らしいこと。

 普段は忙しくてセコセコしているものですから、街の様子なんて全く見てないのですが、改めて見ると発見がいくつもあります。遠目に見える山の稜線だったり、お堀を泳いでいる大きなマガモだったり、古ぼけた味のあるカフェだったり。存在はしていても、見る目がないと気づけないものが結構あるのです。まあ、当たり前なんですけど。

 忙しいのは忙しいので良いのでしょうが、見る目を失う程の余裕をなくすのは違うような気がします。つもりはなくとも、そんな基本的なことさえ忘れる程余裕がなかっただと考えると、これは即反省しなくてはなりませんね。初心に戻るべし、と。

 と、言うわけで、忙しくなりがちな秋以降の時間をいかに工夫して「見る目」に余裕を持たせるかを、今年度残り半年間のテーマにしてみようと思います。
posted by Ecodog at 03:13| Comment(0) | 徒然なコメント | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする