2012年06月10日

学習速度について

「どの位勉強すれば、どの位の大学に行けるのか教えて下さい」

という質問がありましたので、それに対する返答を掲載しましょう。

 大体の相場ですが、中学生の範囲がさっぱり分からない子の場合、一年で中堅からやや下の大学に通ります。ただ、あまり将来性のある大学ではありませんので、ここで抜けるのはお薦めしにくいです。

 二年かけると、地方国公立大や、一般にMARCH(明治・青山・立教・中央・法政)と呼ばれる中堅私大に通る程度になります。このレベルなら、選択学部を間違えずにまともに進学すれば、最低限生活に困ることは無いでしょう。

 三年かけると、東大などの旧制帝大や東工大等の上位国立大、早稲田・慶應といった難関私大、医学部・獣医学部といった難関系学部に通る程度の学力が確保出来ます。ここまで来ると、かなり選択肢を大きく取れます。可能性を広げたい場合には、ここまで頑張って欲しいところです。

 尚、既に中学範囲の学習が十分な場合や、高校範囲もある程度学習済みの場合には、上記の学習時間も大幅に短縮されます。名門進学校所属で不登校になった子の場合には、一年程度でも難関大に入れる可能性が十分にあります。積み重ねが多い程、学習期間は不要になります。

 因みに、習得速度の速い子の場合は二年目で三年分のパフォーマンスを出すこともありますが、かなり負担が大きいので、万人向けではありません。かなり要領の良い子がしっかり勉強しても、確率的には五分五分と言ったところでしょうか。

 大体、こんなところです。また別の質問が来たら、改めて掲載することにします。
posted by Ecodog at 17:28| Comment(0) | 教育分野一般 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年02月29日

CARPE・FIDEM2012年度新規受付について

 そろそろ3月ですので、今年の受け入れ状況についてお話をしておこうと思います。

 まず講座関係の授業ですが、今年は、

「中学範囲速習」
「中学範囲国語速習」
「大学受験理系基礎」
「センター国語」
「センター倫理政経」
「個別対応講座」

の6講座を開講予定です。「個別対応講座」以外は一応まだ空きがありますが、一部予約枠もありますし、元々定員が少ない関係で、埋まるときはすぐに埋まるかと思います。定員満了になり次第締め切りますので、申込みはお早めに。

 尚、今年の個別対応講座は、かなり早い段階で定員満了になっていますので、新規参加の方への提供は難しいかと思います。その点だけご了承下さい。

 学校に行っていなかったせいで、

「小学生の算数分からねえ!」
「中学生の英語勉強してないっすよ!!」
「国語力沈没!!!」

のようになっているけど、きちんとした大学に進学したい不登校の学生さんや、

「まだまだ人生捨ててないぞ!」
「頭弱いとロクな仕事ねえじゃん!!」
「これからは世界が舞台じゃおんどりゃあ!!!」

みたいな、取りあえずはっちゃけて進学を検討中の引きこもり当事者の方など、幅広く受け入れていますので、ご希望がありましたら是非どうぞ。

 尚、参加ご希望の方は、申し込みに余裕を持って、3月15日までにご連絡下さい。

 それでは、2012年度もよろしくお願いします!
posted by Ecodog at 13:56| Comment(0) | 教育分野一般 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月18日

国語と社会に思うこと

 不登校・引きこもり関連の教育支援をやって久しい身ですが、毎年感じるのが、国語と社会(この場合は、倫理や政治経済などの公民科目)の効用です。特に、無教育状態の当事者に対する即効性という意味で言えば、この二科目は最も効果が大きいようです。(無論、教育水準の高い人達にとっても、建設的議論のテーマとしては十分なのですが。)

 引きこもり当事者や不登校の学生の教育水準は様々ですが、当然のことながら、教育水準の高い方が何かと有利なのは、現実的な話として事実です。単純労働が漸次減少し、それに対する金銭的評価が低下する一方の今日において、基礎教育の欠損は、それ自体が人生における致命傷にすらなり得ます。

 社会に出られない日々の鬱憤を社会批判に乗せて、所構わず四方八方にばら撒く当事者の姿を、私も数多く見てきました。しかし、最低限の知識のある人達は自らの奇怪さが理解出来るため、ホドホドのところで批判も停止するものの、それが無い人達は社会批判の歯止めがきかず、自爆的に社会から遠ざかってしまっています。自分が社会批判系の話で聞いた50程度の事例だけですが、この差は非常に大きいものがあります。

 CARPE・FIDEMで扱う国語は、県立高校の入試問題から始まり、難関高校の入試問題を経てセンター試験へと繋げる程度のものですが、それでさえ、体系的に勉強したことの無い当事者にとっては非常に大きな知識となります。中学範囲で扱うものだと、テーマとしては古くなった環境問題や、当たり障りのない言語論、社会学入門や戦前戦後をテーマにした小説など。高校範囲に入ってからは身体論や都市論などに繋がることが多いですが、最低限の「読書」としては十分です。

 また、慢性的モラトリアムから抜けられず、いつも親や社会に責任転嫁して、惨めな自分を場当たり的に慰め続けている当事者にとって、自己の現在の姿を客観的に説明してくれるのは、倫理における「青年期の課題」というテーマですし、出来る仕事が過少であることの鬱憤が故に、「資本家の搾取は許せない!」「弱者に救済を!」のような、自分達にとって都合の良い話ばかりを振りかざす当事者にとって、その主張の無意味さを端的に説明してくれるのは、政治・経済における「資本主義・社会主義の成り立ち」でしょう。

 単にこれらの知識の前後だけでも、発想がすっかり変わってしまうことも珍しくありません。ここからは、彼らの行う社会批判の大半が、建設的営みの結果や、新しい価値観の産みの苦しみではなく、単なる「社会に関する無知」を根源にしている現実が伺えます。

 どちらについても、別段特別高度な知識が必要な訳ではありません。せいぜい、センター試験で8割取れる程度の知識を吸収すると同時に、現実世界におけるその具体的意味を考えてみるだけで十分です。その程度のことをしたか否かだけで、当事者のその後は全く違ったものになります。

 少し前にも、社会批判ばかり繰り返す20代〜30代後半の当事者の話を聞く機会がありましたが、その後で、今年受験を迎える20代前半の青年に彼らの話をしたところ、

「何も学んでこなかったから、何も見えてないだけでしょ? 今の時代が面白いことに気付いていない段階で、既に能力が足りないんだと思いますよ?」

と一蹴。「そんな話、するだけ無駄」とでも言わんばかりの反応でした。

 今更ながら、という気もしますが、引きこもりや不登校というカテゴリーで一緒くたにされている人々の間にも、社会に対する認識格差が大きく広がっている現実を改めて垣間見た気がします。無論、周囲の足を引っ張り続けるのは「見えていない人」であり、これからの時代の新しい可能性を創り出すのは、「見えている人」です。私は、その「見えている人達」と共にいることを、「地味に」誇りに思っています。
posted by Ecodog at 16:59| Comment(0) | 教育分野一般 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする