2016年10月08日

やっていることが上手くいかないときに考えるべきこと

 今時期は特に増える話ですが、物事が上手くいかない(成績が上がらない)ことってありませんか? 何もしないで上手く行くなんてことはあり得ませんので、一生懸命やっての話です。一生懸命頑張っているのに、上手く行かない。何故でしょうか?

 さしあたり、私が見ている周囲で発生している具体例を挙げると、以下のようなものがあります。


1:出来る問題ばかり解いている・得意な範囲ばかり勉強している

 例えば、

数学10点
英語100点
国語80点

のスコアを取るA君がいたとしましょう。彼が成績を上げるために優先すべき科目は何でしょうか? 当然、数学ですね。英語をやっても、これ以上上げようがありません。国語もほぼ上限で、伸び白が少ない。しかし、数学はまだまだ伸びる余地がある。

 にもかかわらず、A君が「一生懸命」英語を勉強していたとしたら、どうでしょうか? 確かに、今後の社会展望を考えれば、英語のエキスパートになるのは大変有効で、否定すべき要素は一切ありません。しかし、試験では全くと言って良い程評価されません。要は、成績が上がらない。もう上限一杯まで評価されているためです。

 このような無駄をしてしまうのは、概してA君の保守的かつ怠惰、それでいて、勉強するという形式的姿勢だけは重要視する、歪んだ性格が問題だったりします。自分の得意な科目は、何をやっても解けるのですから、大変気持ちの良いものです。勉強したくなるのも自然なことでしょう。だから、「勉強」する。しかし、苦手な科目を黙々と進めるのは苦痛なものです。誰だって、逃げたくなるでしょう。だから、勉強しない。

 要は、A君は「勉強している!」と主張している一方で、その実得意科目の英語に「逃げている」だけです。パッと見の姿は勉強しているかも知れませんが、それは机に向かっているという外的イメージに過ぎません。

 勉強とは、知らない知識を新しく取り入れたり、解けない問題が解けたりして、そしてそれを維持管理して初めて成果に繋がります。これこそが勉強なのであって、既に出来るものを繰り返しやったとしても、それは勉強にはなりません。ただの「逃げ」です。

 「一生懸命勉強してる!」と言う主張は良い響きですが、A君のそれは「一生懸命逃げてる!」です。勉強なんか、少しもしていません。A君自身は勉強しているつもりかも知れませんが、それは勉強しているフリであり、現実には何もしていないのと同じです。


 表面的に勉強している姿を繕い、実際はサボっている。上手くいくはずありません。ただ、これは仕事でも同じことが言えます。

 ここでの要点は、

「上手く行かないときは、自分がやりたくないことから先に実行する」

です。やりたくないから、ノータッチになっている。結果、その部分がボトルネック化して、全体の進捗を妨げている。どの業界にでもよくある話です。

 やりたいことだけ実行する人と、やりたくないところから実行する人とで差がつくのは自然なことです。自分自身を騙そうとする水面下の意識を思い出すと、物事は少しずつ上手く進むようになります。
posted by Ecodog at 16:12| Comment(0) | 教育分野一般 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年10月06日

小さな信頼を積み上げる

「営業の鉄則は、大きな信頼を狙わず、小さな信頼を沢山積み上げること」

だとか何だとかって話を聞いた記憶があります。

 何となくうろ覚えなのは、恐らくお酒が入っていたからで、多分、爺さんの米寿で親族関係者が熊本に集まったときのことでしょう。推定では、遊び疲れて爆睡している小さな娘さんをあやしている父方の従姉妹の旦那さんの口からだったような気がしますが、定かではありません。

 出所は定かではありませんが、言っていることが定かっぽいのは、流石エリート営業マンといったところでしょうか。やるね。


 で、この「小さな信頼を積み上げる」なんですが、具体的に何をしたら良いのか考えると、実は「日常的にすべきことを淡々とするだけ」という、何とも無味乾燥な解答に行きつくようで。すごく分かりやすくまとめると、

「黙って勉強しな」

とか

「サボらず仕事しろ」

ってことです。うむむ……。定かっぽいけど、きついな、コレは。


 でも、確かに自分の周囲を見ていると、実績上げてる人って基本的にコレがしっかりしているんですなあ。黙々と、やるべきことを実行している。逆に、ダメな人ってのは、アレコレとグチグチ言ってばかりで、何かにつけて停止している。しかも、長期間何もしないでボーっとしている。

 大きな成果ってのは、小さな成果の積み重ねでできているのでしょうが、大きな罪ってのも、小さな罪の積み重ねでできているのでしょう。

 小さな成果も、小さな罪も、毎日の分はあまりに小さ過ぎて、どっちを取ってもほとんど違いが無いようですが、何十年単位で詰み上がると、とてつもない差になってしまう。信頼についても、同じことなのでしょう。


 と、なると、幼年期や少年期は別にしても、青年期以降については段階的に、壮年期にもなれば全面的に、自分自身の存在は自己責任の塊となってしまいます。

 三十路男を捕まえて、

「今のお前が壊れているのは、全部が全部がお前のせい! フォウ!!!」

なんてラップ調で煽られても、グウの音も出ません。まあ、実際煽られてるんですが。ラップで。

 と、考えると、やはり明日の身の振り一つについても考えてしまう今日この頃。壮年期初期の私なのでございます。

 誠実に生きるって大切だね、爺ちゃん。

posted by Ecodog at 21:40| Comment(0) | 徒然なコメント | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年10月05日

「○○年生のときから学校へ行ってないんですけど、◇◇大学に入れますか?」

 あるある系の質問ですが、参加希望者の増える時期ですので、一つ回答をば。

 結論から言えば、学校に何年生までいた云々は、進学先には特に関係ないです。違いがあるとすれば、入学までにかかる日数だけです。

〇中学一年から学校に行ってないなら、東大や医学部に入るのには三年、地方国公立やMARCHには二年要ります。

〇高校一年から学校に行ってないなら、東大や医学部に入るのには二年、地方国公立やMARCHには一年要ります。

〇高校三年(有名進学校)から学校に行ってないなら、東大や医学部に入るのには一年要ります。

 要は、「どれだけ時間がかかるか?」という点だけがポイントになります。

 逆に言えば、14歳からCARPE・FIDEMに入っていると、16歳で地方国公立の理工系学部、17歳の段階で一年早く東大or医学部に入るのと同じ程度の学力になりますので、これは都内の有名進学校に中学受験で入学し、優秀な成績を修めている子と並ぶ計算になります。(因みに、これと同じポジションにいる子は既にいます。)


 尚、経験則的には、

1:最低限の真面目さを持つ。(授業はサボらない、遅れない。)

2:予習・復習は指示通りに行う。(記憶の定着もきちんと行う)

3:学習方針に修正を求められたらきちんと変える。(我流に逃げない。)

の二点を守っていれば、上記のルートから外れることはほぼないです。「授業を延々とサボる、宿題も復習もしない、言われたことに従わない」等の場合や、健康状態の異状など、特殊な事情があれば話は別かも知れませんが、上記三条件を守っていれば、そこまで無茶苦茶な話にはなりません。

 と、言うわけで、参加をご検討中の方は参考になさって下さい。気になることがあるけど、電話とかメールはメンドイという方は、こちらのコメント欄でもご利用どうぞ。
posted by Ecodog at 19:52| Comment(0) | 教育分野一般 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする